「WACTOR」という名前を聞いて、懐かしさとともに複雑な感情が湧き上がる方も多いのではないでしょうか。スペイン語圏を中心としたラテンアメリカ市場に切り込んだ日本発のVTuber事務所として注目を集めたWACTORは、その革新的なアプローチと同時に、数々の騒動や所属タレントの大量離脱という激動の歴史を歩んできました。個人的にVTuber業界の動向を追い続けてきた中で、WACTORほど「可能性」と「課題」の両面を鮮明に映し出した事務所はなかったように感じています。
この記事では、WACTORの設立から910inc(くじゅういんく)への改名、そして現在に至るまでの全体像を、できる限り正確にお伝えしていきます。
この記事で学べること
- WACTORは日本初のスペイン語圏特化VTuber事務所として2020年に設立された
- 運営体制への不満から所属タレントの大半が2022年に一斉離脱する事態に発展した
- 2023年に「910inc」へ改名し再出発を図るも、根本的な課題は解消されていない
- 元所属メンバーの多くが個人勢として活動を継続し成功を収めている
- WACTORの事例はVTuber事務所運営における教訓として業界全体に影響を与えた
WACTORとは何だったのか
WACTORは、2020年に設立された日本のVTuber事務所です。
最大の特徴は、日本語とスペイン語のバイリンガル展開を軸に据えたこと。当時、ホロライブやにじさんじが英語圏への進出を加速させる中、WACTORはラテンアメリカという未開拓市場に目を向けました。これは非常に先見性のあるアプローチだったと言えます。
所属タレントには日本語とスペイン語の両方を話せるメンバーが多く、配信も両言語で行われることが一般的でした。ラテンアメリカのVTuberファンにとって、母国語でコミュニケーションできる日本発の事務所は新鮮な存在だったのです。
設立当初は「Hana Flores(花フローレス)」や「Misora Hoshino(美空ほしの)」など、日本とラテンアメリカの文化を融合させたキャラクターデザインが話題を呼びました。
WACTORの事業モデルと所属タレント

WACTORのビジネスモデルは、一見すると他のVTuber事務所と大きく変わりません。所属タレントがYouTubeやTwitchで配信を行い、スーパーチャットやメンバーシップ、グッズ販売などで収益を上げる構造です。
しかし、決定的に異なっていたのは「ターゲット市場」と「言語戦略」でした。
WACTORは大きく分けて以下のようなタレント構成を取っていました。
この多言語戦略により、WACTORは日本国内だけでなく、メキシコ、アルゼンチン、チリ、コロンビアなどのスペイン語圏で一定のファンベースを構築することに成功しました。特にTwitter(現X)上でのラテンアメリカのファンコミュニティは活発で、日本のVTuber文化をスペイン語圏に広める橋渡し的な役割を果たしていたのです。
騒動の始まりと所属タレントの大量離脱

WACTORの転機は2022年に訪れました。
きっかけは、所属タレントたちが運営体制に対する不満を公に表明し始めたことです。具体的には以下のような問題が指摘されていました。
2022年後半から2023年にかけて、所属タレントの大半がWACTORを離脱するという異例の事態に発展しました。
これは単なる「卒業」ではありませんでした。多くのタレントがSNS上で運営への不満を明確に表明し、ファンに対して事情を説明するという、VTuber業界では異例の展開となったのです。
VTuber業界全体を見渡しても、ホロライブの引退・卒業のケースと比較すると、WACTORの離脱劇は「円満」とは程遠いものでした。事務所側とタレント側の関係が完全に破綻した上での離脱であり、業界に大きな衝撃を与えました。
910incへの改名と再出発

大量離脱という危機を経て、WACTORは2023年に「910inc(くじゅういんく)」への改名を発表しました。
「910」という数字は「く(9)じゅう(10)」と読み、日本語の語呂合わせを活用した命名です。この改名には、過去のネガティブなイメージを払拭し、新たなスタートを切りたいという意図が明確に感じられます。
しかし、名前を変えただけで根本的な問題が解決するわけではありません。
910incとしての再出発後も、業界内での評価は依然として厳しいものがあります。過去の騒動を知るファンやタレントからの信頼回復は容易ではなく、新たなタレントの獲得にも影響が出ていると考えられます。
元所属タレントたちの現在
WACTORを離脱したタレントたちの多くは、個人勢として活動を継続しています。
興味深いのは、事務所を離れた後にむしろ活動の幅を広げたタレントが少なくないという点です。事務所の制約から解放されたことで、自分のペースで配信を行い、ファンとの距離感を自由に設定できるようになったことが好影響をもたらしたケースが見られます。
これはにじさんじの転生先で見られるような、事務所卒業後のタレント活動にも通じる現象です。VTuberという存在は、事務所に依存しなくても個人の魅力で活動を続けられることを、WACTORの元メンバーたちが証明した形になりました。
ただし、すべてのタレントが順調というわけではありません。事務所のサポートがなくなったことで、技術面や事務作業の負担が増えたという声もあります。現実的には、個人勢としての活動には相応の自己管理能力とビジネススキルが求められるのです。
WACTOR騒動がVTuber業界に残した教訓
WACTORの一連の出来事は、VTuber業界全体にいくつかの重要な教訓を残しました。
WACTORが示した可能性
- スペイン語圏VTuber市場の存在を証明した
- 多言語展開の先駆的モデルを提示した
- ニッチ市場でも事務所運営が可能だと示した
浮き彫りになった課題
- タレントとの信頼関係構築の失敗
- 収益分配の透明性の欠如
- コミュニケーション不足による関係悪化
特に重要なのは、「革新的なビジネスモデル」だけでは事務所の持続的な成長は実現できないという事実です。
VTuber四天王の時代から現在に至るまで、業界は急速に成熟してきました。その中で、タレントの権利保護や適切な労働環境の整備は、もはや「あれば良い」ものではなく、事務所運営の必須条件となっています。
WACTORの事例は、郡道美玲の現在のような個別のケースとも異なり、事務所全体のガバナンス崩壊という、より構造的な問題を浮き彫りにしました。
910incの現在と今後の展望
910incとして再スタートを切った旧WACTORですが、現状は決して楽観できるものではありません。
過去の騒動による評判の低下は深刻で、新規タレントの獲得や既存ファンの信頼回復には相当な時間と努力が必要です。VTuber業界は情報の拡散が速く、過去の問題はインターネット上に半永久的に残り続けます。
一方で、ラテンアメリカのVTuber市場自体は依然として成長を続けています。WACTORが開拓した市場に、他の事務所や個人勢が参入する動きも見られます。910incが本当の意味で再生を果たすためには、過去の失敗を真摯に受け止め、タレントファーストの運営体制を構築することが不可欠でしょう。
名前を変えることは簡単ですが、信頼を取り戻すことは名前を変えるだけでは実現できません。
よくある質問
WACTORと910incは同じ会社ですか
はい、同じ運営元です。WACTORは2023年に910inc(くじゅういんく)に改名しました。運営体制の刷新と過去のイメージからの脱却を目的とした改名とされていますが、運営母体は同一です。改名後も過去の騒動に関する情報はインターネット上に残っており、完全なリブランディングが成功しているとは言い難い状況です。
WACTORを離脱したタレントは今どうしていますか
離脱したタレントの多くは個人勢としてVTuber活動を継続しています。中には事務所時代よりもチャンネル登録者数を伸ばしたタレントもおり、個人の実力と努力次第で事務所を離れても十分に活動できることを示しています。一部のタレントは他の事務所に移籍したケースもあるようです。
WACTORはなぜスペイン語圏に特化していたのですか
2020年当時、英語圏はホロライブENやNijisanji ENが急速に市場を拡大しており、競争が激化していました。一方、スペイン語は世界で約5億人が話す言語であり、VTuber市場としてはほぼ未開拓でした。WACTORはこのブルーオーシャンに着目し、先行者利益を狙ったビジネス戦略を取ったのです。
WACTOR騒動の具体的な原因は何だったのですか
複数のタレントが公に語った内容を総合すると、収益分配の不透明さ、運営とタレント間のコミュニケーション不足、十分なサポートが提供されなかったこと、契約条件に関する認識の相違などが主な原因として挙げられています。ただし、運営側の公式な説明は限定的であり、すべての事実関係が明らかになっているわけではない点には留意が必要です。
現在のVTuber業界でWACTORのような事務所は他にありますか
スペイン語圏に特化した日本発のVTuber事務所としてのWACTORのモデルは、現時点では完全な後継者が現れていません。ただし、ラテンアメリカ発のVTuber事務所やコミュニティは増加傾向にあり、ぶいすぽの登録者数推移に見られるように、特定のニッチに特化した事務所が成長する余地は十分にあります。WACTORの失敗は「市場選択の間違い」ではなく「運営の問題」であったという点は、正しく理解しておく必要があるでしょう。
