任天堂の上村雅之 (同社統合開発本部アドバイザー/立命館大学大学院先端総合学術研究科教授) 氏はkotakuのインタビューに応え、自身が開発責任者を担ったファミコンの開発を巡るエピソードを明かしました。
上村氏は1981年 (昭和56年)、山内溥任天堂社長 (当時) から「ロムカセットを入れ替えてプレイ出来るゲーム機の開発」を電話で命じられたとのことで、当初は山内氏の酔狂な提案に過ぎないと考えていたとのことです。
またファミコンのカラーリングについては山内氏が好んだスカーフの色をベースにしたり、阪神高速道路の看板の色などを取り入れている事などを明かしています。
The Designer Of The NES Dishes The Dirt On Nintendo’s Early Days
kotaku
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