この度週刊誌「週刊プレイボーイ」の公式ニュースサイト「週プレNEWS」に掲載されたコピーライターの糸井重里氏へのインタビューにおいて事実と異なると考えられる記述が見られることが分かりましたので、ファクトチェックを掲載いたします。
糸井重里が語る、僕と岩田さんと『MOTHER』と「もし『MOTHER4』を作るならラブロマンスにするかなぁ。でも、作らないけどね(笑)」
週プレNEWS
MOTHER Party
なお該当記事の執筆者はA4studioの昌谷大介氏となっています。
MOTHER2は翌年北米で発売され大ヒット→誤り
「MOTHER2」は「EarthBound」のタイトルで、日本発売翌年の1995年に北米でも発売され、大ヒットしました。
これは誤りと考えられます。
任天堂のゲームソフト「MOTHER2 ギーグの逆襲」は1995年 (平成7年) 6月1日に「EARTHBOUND」の名称で北米で発売されましたが、“発売年に大ヒット”と言えるほどの人気を得たわけではありません。実際はプロモーション上の失敗 (当時のキャッチコピーが「このゲームは臭いよ」) や北米ゲームメディアにおける低評価も影響し、とても”発売年に大ヒット”と言えるほどの売上や人気を獲得したとは言い難いものでした。
MOTHER2が北米で高い人気を博するようになったのは「EARTHBOUND」の販売が低迷したまま終わった”その後”の出来事となります。
初代スマブラこと「ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ」に主人公「ネス」が参戦したのをきっかけに知名度を獲得、それまで一失敗作として過去のものとされていた「EARTHBOUND」が北米を中心に海外ファンの皆さんの間で再評価されることとなり、今日の世界的なMOTHERシリーズ人気へと繋がっていきました。
糸井氏もこうした当初の北米での苦戦は把握していたものと思われますので、インタビューへの返答にも「それはわからないけど (笑)」と言葉を濁しています。
よって「日本発売翌年の1995年に北米で発売された当初の人気やセールスは苦しんだものの、後に評価され人気を博していきました」等とするのが事実に近い記述ではないかと考えられます。
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